球速160キロ
こんにちわ、日本カイロプラクティック連合会(JCA)・全国健康生活普及会(全健会)、九州部門担当の杉垣です。
今日は、プロ野球の、沢村栄治投手が誕生してからちょうど100年だそうです。
17歳で高校を中退して、日本最初のプロ野球球団に加入し、アメリカ大リーグとの圧倒的な力の差のなかで対戦し、錚々たる大リーガーたちをきりきり舞いさせた。
現代の日本のプロ野球界において、投手の最高の栄誉である「沢村賞」にその名を残す、伝説の投手です。
戦前に始まった日本のプロ野球も、大東亜戦争の波に飲み込まれ、沢村投手には2度も召集令状が来て戦地に赴きました。
戦地では、敵陣や敵兵に向けて手榴弾を沢山投げさせられたそうです。
結果的には、戦地でマラリアを患って亡くなったそうです。
現在、日本ハムファイターズの大谷投手が160キロを超える快速球で次々と日本新記録を投げ込んでいますが、当時のわずかに残されている動画から計算すると、沢村投手の投げる球も160キロほどだったという説もあります。
当時は、カイロプラクティックと言う考え方も言葉さえも日本には馴染みが有りませんでした。
沢村投手にカイロを施して、100%の力を発揮させていたら、どんな凄い球を投げていたかと思うともったいない限りです。
それにしても、野球では無く戦争という形で敵味方に分かれ命の取り合いをしなければならなかった選手たちの気持ちは、さぞや複雑だった事でしょう。
私達は戦争を体験していません。できることなら、地上から戦争なんぞ無くなって、体験などせずに一生を過ごしたいものです。
あらら、ずいぶん脱線してしまいました。
我々カイロプラクターは、平和の元になる、ひとりひとりの健康の為に、これからも日々活動していきます。